ハリー・ポッターと賢者の石 第1章

小説が始まって2ページ目あたりで、「さて、ある火曜日の朝のことだ」と書かれている。
これが、ハリーの両親が殺された翌朝のことだとしたら、1981年の11月1日のはずだ。(この日付がはっきりするのは「死の秘宝」16章になってからだけれど。)ただし、リアル世界のこの日は日曜日で、ダーズリー氏の会社は休みのはず。日曜出勤するほど忙しいというような記述はない。ハリー・ポッターワールドとリアル世界は曜日もずれるのだと解釈しておこう。何しろ魔法界というのは、リアル世界の物理や化学の法則が成り立たない世界だから。

「わしらに限って、絶対に関わりあうことはない……」とダーズリー氏がつぶやいたあとに、「何という見当ちがい……」というせりふが続く。これは誰のせりふだろう?前後の関係から、猫つまりマクゴナガルしかいないとは思うが。

ダンブルドアが登場した場面の描写に「高い鼻が途中で二回は折れたように曲がっている」という部分がある。なぜ鼻が折れたのかという理由が「死の秘宝」で明らかになる。魔法で簡単に治るはずなのに、なぜ治さなかったのだろう? 家族を大切にしなかった過去を悔いるため、わざと治療しなかったのかもしれないと、「死の秘宝」を最後まで読んだ今は思う。

「なぜこんなところにおいでになったのか、たぶん話してはくださらないのでしょうね?」
このマクゴナガルのせりふは、ダンブルドアの日頃からの秘密主義を暗示している。腹心とも言えるマクゴナガルにも、大切なことはなかなかうちあけない。それをマクゴナガルは知っているのだ。ダンブルドアのこの姿勢は、全巻を通して発揮され、時にはハリーをいらいらさせることになる。

「死の秘宝」で活躍(?)するシリウスのオートバイは、ここで早くも登場する。
ハグリッドは「ブラック家のシリウスっちゅう若者に借りたんでさ」と言っている。「アズカバンの囚人」まで読んだら、このせりふは変だとわかる。まるでダンブルドアシリウスを知らないという言い方だ。翻訳者は先の話を知らずに訳しているので、ここはしかたがないのだろう。

この時のハリーは「赤ん坊」と書かれているので、わたしはゼロ歳児だと思っていた。あとの巻でわかるのだが、この時のハリーは1歳と3ヶ月になっていたのだ。