ハリー・ポッターと炎のゴブレット(第15章)

ハリーはシリウスを心配させないために、「傷跡が痛んだのは僕の思い過ごし。何も問題はありません」と手紙を書く。シリウスの性格を考えれば、そんな手紙は無駄だと思うが、この時点ではハリーも読者もシリウスの性格を知らない。
手紙を運んでくれるヘドウィグとハリーのかけひきはおもしろい。魔法界のふくろうは、人間並みの感情を持っているらしい。しかもおっちょこちょいのピッグウィジョンと違って、ヘドウィグは誇り高いふくろうなのだ。

ムーディの授業の描写がこの章でもある。服従の呪文を生徒にかけるというのだ。
この時のハーマイオニーとムーディのやりとりは、この小説の中でもわたしが好きな箇所だ。ハーマイオニーが授業に異をとなえるのは当然で、彼女の言うことは間違っていない。一方、ムーディの説明にも説得力がある。違法な呪文を実際にかけられてから学びたいのなら出て行け、授業を免除するからというせりふは痛快だ。ダンブルドアの指示だということも、ムーディのせりふの説得力を裏付けている。
そして、このムーディーの授業が、後に出てくるクラウチ氏のエピソードへの伏線になっていることもおもしろい。

服従の呪文をかけられると、最高にすばらしい気分になる。まわりの状況はぼんやりとわかる。そして、呪文をかけている者の命令が頭の中で聞こえる。
命令に従いそうになって、ハリーの頭の中でもう一つの声がした。ハリーは命令どおりにしなかった。ムーディはクラスのみんなの前でそれをほめた。

マクゴナガルの授業でOWL試験の話題が出る。このとき、「ハリネズミをまともな針山に変えることができたのは、ミス・グレンジャーただひとり」とマクゴナガルは言う。一年生の最初の授業から始まって、四年生になった今も、ハーマイオニーはクラスでいちばん優秀なのだ。

10月30日の午後6時にボーバトンとダームストラングの生徒たちが到着するという掲示が貼られる。
他校からの来客を前に、城のあちこちが掃除されたり、肖像画が汚れ落としされたりするというのがおもしろい。
その日の朝、フレッドとジョージが何か相談している。あとでわかるが、ルードからお金を返してもらう相談だったのだろう。

夕方になった。みんなは城の正面玄関に集まり、整列した。
巨大な馬車が天馬に引かれて、空を飛んでくる。やがてみんなの前に着地。馬車からハグリッドと同じように大柄な女性が下りてきて、ダンブルドアと握手した。ふたりはすでに知り合いらしい雰囲気だ。ボーバトン魔法アカデミーの校長、マダム・マクシームだった。ファーストネームがわかるのは次の巻になってからだけど。
マダムの後ろにボーバトンの生徒たち十数人。映画ではこの学校は女生徒しかいないが、原作では共学である。みんな17、8歳以上に見えた、とハリーの目線では書かれている。試合の選手は17歳以上というルールがあとでわかるが、もちろんボーバトンでは最初からそれを知らされていて、17歳以上だけを連れてきたのだろう。
まてよ、第二の課題の時にフラーの妹ガブリエルが人質になったっけ。すると、フラーが18歳でガブリエルが17歳ってことかな?

しばらくすると、湖から物音がして、船が浮かび上がってきた。
ダームストラングは船で来たのだ。ホグワーツの湖とダームストラング校はどうつながっているのだろうか? それとも彼らは船ごとテレポテーションができるのか? 
ダームストラングのカルカロフ校長とダンブルドアは、親しげにあいさつをかわす。カルカロフが「なつかしのホグワーツ城」とつぶやいたところを見ると、彼はここの卒業生なのかもしれない。
映画ではダームソトラングは男子校という設定だ。しかし小説にはなんの記述もないので、共学だと思う。映画ではボーバトンを女子校、ダームストラングを男子校にして、それぞれに原作にはないパフォーマンスをさせたが、あれは悪くなかった。映画では視覚的な楽しさも必要だ。

そして、ダームストラングの生徒の中に、ワールドカップに出場したビクトール・クラムがいた。