ハリー・ポッターと賢者の石 第5章(前半)

どの巻もおもしろいけれど、特に第1巻「賢者の石」は、初めて魔法界を知るワクワク感に満ちている。その中でも、第5章「ダイアゴン横町」は特におもしろい。また、この章にはうっとうしい人間関係がほとんど出てこないので、その意味でも読んでいて楽しい。

岩の上の小屋でハグリッドから手紙を受け取り、自分の身の上を知ったハリーは、朝になって目を覚ます。「あれは夢だったんだ」と自分に言い聞かせるハリーがいじらしい。ハリーはこのあとどんどん生意気になっていくけれど、この時点ではべつに嫌な奴じゃない。
目を開けてみると昨夜の小屋で、そばにハグリッドが寝ていて、夢でなかったことがわかる。
窓の外にふくろうがいて、新聞をくわえている。窓を開けてやると、ふくろうは新聞をハグリッドの上に落とし、代金を受け取って飛び去る。魔法界のふくろうは手紙を運ぶだけでなく、新聞配達もしていたのだ。しかもハグリッドの外出先までちゃんと届けてくれる。まったく便利なシステムだ。クヌートという貨幣単位を初めて知るハリー。銅貨だということは、かなり小額のコインなのだろう。
銅貨を見たハリーが、学費の心配をするというのは実に自然な気持ちだろう。それに対してはグリッドは、両親の遺産が銀行にあると言って安心させる。

小屋をあとにするハグリッドとハリーだが、この場面にはナゾがいくつかある。
「どうやってここに来たの?」というハリーの質問にハグリッドは「飛んできた」と答えている。しかし「死の秘宝」第4章でハグリッドは「ほうきやセストラルじゃ、俺の体重を支えきれんからな」と言っているのだ。ほうきなしで空を飛ぶ魔法は高度な術で、作品中でヴォルデモートとスネイプしか使っていない(映画では違う設定だが)。ハグリッドはいったいどうやって飛んできたのか。
ふたりは舟で小屋を離れるが、その舟はダーズリーがお金を出して借りたものだろう。勝手に使っていいはずがない。何よりも、舟を奪われたらダーズリー親子はどうやって家に戻るのか。ハグリッドよ、せめて舟が港についた時に、「元の場所へ戻れ」と舟に魔法をかけてほしい。

舟の中の会話でハグリッドは、グリンゴッツが地下数百キロのところにあると言っている。原文でも「何百マイル」だから、ローリングさんがそう設定したのだろう。しかし、こんなに深くする必要があるのか。「数百メートル」で十分じゃないのか。数百メートルでも地下鉄よりずっと深い。それに、我々が地上を移動する距離や時間を考えるなら、地下数百キロを短時間で行ったり来たりできるはずがない。
「魔法使いがいることを隠しておくのが魔法省のしごと」といいながら、入学に必要なもののリストを電車の中で広げたり読み上げたりするのも変だ。

ハリーは「漏れ鍋」にやってきて、そこにいた人たちから大歓迎を受ける。ここではあいまいにしか描写されていないが、このパブにはマグルよけ呪文がかけられていて、マグルには見えないのだろう。
クィレルともここで会うが、あとで考えたら、この時はまだヴォルデモートが頭の後ろにとりついていない。この時ヴォルデモートはどこにいたのだろう。クィレルの自室に身をひそめていたのか?

「鬼婆」とか「吸血鬼」とかの単語がハグリッドのせりふに出てくるところをみると、魔法界には鬼婆も吸血鬼も存在するようだ。ただし、今後のストーリーにはいっさいからまない。ロックハートの著書の書名として登場する程度だ。