ハリー・ポッターと賢者の石 第8章

ホグワーツでの生活が始まる。
階段が動いたり、扉が簡単に開かなかったり、肖像画の人物が訪問し合ったり(つまり、描かれた人物がほかの絵に移動してしまう)と、いかにも魔法界らしい楽しい描写がある。「鎧だってきっと歩けるに違いない」とハリーは思うのだが、「死の秘宝」では鎧や彫像が動くのを実際に見ることになる。

管理人のフィルチと猫のミセス・ノリスは、意思を通じ合えるらしい。
魔法界の動物は不思議な能力を発揮する。ふくろうが手紙を運ぶのが典型的な例だが、猫もマグル界の猫とは違うようだ。「アズカバンの囚人」ではシリウスとクルックシャンクスが意思疎通していたし、「不死鳥の騎士団」ではフィッグさんとミスター・チブルスが意思疎通していた。
しかし一方では、クルックシャンクスがハーマイオニーの前でただの猫としてふるまっていた。ストーリーの都合かと思うが、矛盾している。強いて解釈すれば、クルックシャンクスはハーマイオニーに話しかけることができたのだが、わざと話せないふりをしていたということだろうか。

授業の名前のひとつ「妖精の魔法」だが、なぜこんな訳にしたのだろう? 原文は単に Charms で、「妖精」などどこにも出てこない。単純に「呪文学」でよかったはずなのに。
映画のマクゴナガルは最初の授業で変身を見せているが、原作では自分の変身を見せるのはもっとあとの巻だ。

そして、スネイプの最初の授業。
スネイプがハリーをターゲットに意図的ないじめを始めたことが、誰の目にもわかる。
この授業の前にロンが「スネイプはスリザリンをひいきする」と言っているので、スネイプはもともと不公平な教師だということなのだろう。だから手をあげているハーマイオニーを無視し、ドラコをほめたのだ。もともとえこひいきをする上に、ハリーを集中的にいじめるから、この巻の(他の巻もだが)スネイプの印象はかなり悪い。

魔法薬学の授業のあと、ハリーとロンはハグリッドの小屋を訪ねる。スネイプがハリーを特別に憎んでいる理由を、ハグリッドは知っているようだが、話題をそらしてしまう。
ここでハリーは日刊予言者新聞の記事を見る。7月31日にグリンゴッツに何者かが侵入したが、何も盗られなかったという記事だ。ハリーが「僕の誕生日だ」と言う。
ここで読者は、ハリーの誕生日を具体的に知ることができる。第6章の書き出しで、誕生日から9月1日まで1ヶ月ということはわかっていたが、それが7月末なのか8月初めなのか、具体的な日付はわからなかった。
そして、7月31日というこの誕生日が、「不死鳥の騎士団」に出てくる予言とつながってくる。