ハリー・ポッターと秘密の部屋(第18章後半)

「賢者の石」で、四つの寮の生徒たちの特性を帽子が歌った時、スリザリンについては、「どんな手段を使っても目的遂げる狡猾さ」と言っていた。この章でダンブルドアはもう少し詳しく説明してくれる。「…君もたまたまそういう資質を持っておる。スリザリン自身のまれにみる能力である蛇語…機知に富む才知…断固たる決意…やや規則を無視する傾向」
なるほど、これがスリザリンの特性なのか。しかし、「機知に富む才知(おかしな訳だが、それは置いといて)」というのは、ハリーにもドラコにもクラッブとゴイルにもあてはまらない気がする。スネイプだって、有能ではあるが「機知」には縁遠い男だ。

それはともかく、帽子がいったんスリザリン行きと判断したハリーを、本人の意向でグリフィンドールに決めたことを、ダンブルドアはこう言う。
「自分がほんとうに何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかということなんじゃよ」
このせりふは、原作者がもっとも言いたかったことのひとつではないだろうか。そして、この物語のテーマのひとつとも言えるのではないだろうか。

ダンブルドアとの話が終わってハリーが大広間へ行こうとした時、ルシウス・マルフォイが校長室へ入ってくる。ドビーがいっしょだ。ここで初めて、ドビーが仕えている主人が誰なのかが判明した。
ルシウスは追い出されたはずのダンブルドアが戻ったと聞き、けしからんと思ってやってきたらしい。ダンブルドアは、他の理事全員から戻ってほしいというふくろう便が来たと説明する。ウィーズリーの娘が殺されたらしいと聞き、ダンブルドア以外に対処できる者はいないと他の理事が判断したのだ。

このあとのダンブルドアのせりふから、ダンブルドアには日記をジニーに持たせた犯人がわかったと推測できる。この場のドビーのそぶりから推測したのか、それとももっと前から知っていたのかは不明だ。
ハリーも、ドビーのしぐさから、日記がどこからきたかを察した。ハリーの脳裏には、ダイアゴン横町の書店でアーサーとルシウスがとっくみあいをした時の光景がよみがえったに違いない。ルシウスはジニーの持っている大鍋から変身術の古本を手にとり、アーサーとのけんかのあとジニーに返した。あの時に、日記をいっしょにすべりこませたのだ。

ハリーは日記を靴下に詰めてルシウスに渡す。映画では靴下に詰めるのではなく、本に靴下をはさんでいたように思う。ここは、映画の方が自然だ。それはともかく、ハリーの計略があたり、ルシウスはソックスを投げ捨て、それをドビーが受け取る。
第10章でドビーが「家族全員がドビーにはソックスの片方さえ渡さないように気をつけるのでございます」と言っていたが、まさにそれが本当になった。
自由の身になったドビーは、その瞬間からルシウスに反抗する。
この時ルシウスはハリーにとびかかろうとしてドビーにじゃまをされるのだが、映画では杖を出して「アバ…」と言いかけている。これは映画の方が不自然だと思う。学校という人目のある場所で、禁じられた呪文を使うなんて、ルシウスはそこまで軽卒な男じゃなかろう。

このあとのドビーのせりふ、「あれはヒントだったのでございます」に続く説明は、何度読んでも理解できない。どうしてあの時の否定がヒントになるんだ?

祝いの宴会が夜通し続いた。ハーマイオニーが「あなたが解決したのね!」と言ったが、解決のいちばん大切な糸口を与えたのはハーマイオニーだと思う。バジリスクの存在と、それが配管の中を移動していることに気づいたのは彼女なんだから。
ハグリッドは明け方の3時半に現れたという。ダンブルドアがアズカバンに手紙を書いたのが何時頃かわからないが、ずいぶん早く手続きが済んだものだ。それに、アズカバンからホグワーツまでの距離はどのくらいなんだ? ハグリッドは瞬間移動ができるのか? かなり不自然だと思う。

何日かして、学年末がやってきた。昨年と同じようにホグワーツ特急に乗ってハリーたちはキングズ・クロス駅へ着き、第2巻が終わる。

第1巻「賢者の石」は、人物紹介と魔法界の説明の巻だったと思う。
あとから考えれば、第2巻「秘密の部屋」で、物語は大きく動き出したのだ。この巻でポリジュース薬はあまり役に立たず、何のための登場かと思うほどだが、ここでポリジュース薬が出てきたことが「炎のゴブレット」全体の伏線になっている。そして、「謎のプリンス」でクローズアップされる分霊箱は、「秘密の部屋」でそれと知られないまま初登場している。