ハリー・ポッターとアズカバンの囚人(第4章前半)

この章は、ハリーが「漏れ鍋」で生活しているところから始まる。
ここで食事をする人たちの中に「小人」「鬼婆」などが出てくるけれど、ストーリーにはかかわってこない。魔法界にはそういう存在もいる、というだけの言及だ。
アイスクリーム・パーラーで宿題をするハリーを、パーラーの主人が手伝ってくれる。
それどころか、30分ごとにサンディーをふるまってくれる。
もしハリーが魔法界で育ったら、いくら孤児であっても--いや、孤児なればこそ--みんなが甘やかして、ドラコ以上の嫌な少年になったかもしれない。

ここで、ゴブストーンというゲームの名がちらりと出てくる。架空のゲームと思われる。「純金のみごとなゴブストーンセットセットの誘惑を振り切った」と書かれているのだから、ハリーはすでにこのゲームを知っており、このセットで遊びたいと思っているのだ。このゲームの名は「謎のプリンス」25章で再登場する。ハーマイオニーが「プリンス」という名前について調べていて、ゴブストーンの学校対抗試合の記事を見つけた。チームのキャプテンに「アイリーン・プリンス」の名があったのだ。
ローリングさんは「アズカバンの囚人」を書いていた時、すでに「謎のプリンス」のこの場面を考えていたのだろうか。
結局、ハリーたちがこのゲームで遊んだり競技をしたりする場面は最後まで出てこない。

クィディッチ用具店に人だかり。新型のほうき、ファイアボルトが展示されている。「わずか10秒で時速240kmまで加速できる」と説明書に書かれている。
地上を走る自動車であったとしても、危険きわまりないスピードだ。これが空中を飛ぶのだから、免許証が要るはずだと、マグルのわたしは思う。しかし、魔法界に「姿あらわし」の試験はあっても、「ファイアボルトで飛ぶ」試験はない。衝突事故は起きないのだろうか?

本屋の店員の話から、「怪物的な怪物の本」が店員を困らせていることがわかる。「今朝はもう5回も噛み付かれてしまって…」と店員はぼやくのだが、発行元はなぜ、取扱説明書をつけないのだろう? 
最初の授業でハグリッドは、この本はなでるとおとなしくなると説明している。ハグリッドが知っていることを、出版元が知らないはずはないのに。魔法界にはPL法がないのか。
この店員のせりふに出てきた「透明術の透明本」と合わせて、話をおもしろくするための設定なのだろう。しかしわたしには、不自然さだけが感じられて、少しもおもしろくない。

こうしてハリーは必要な教科書を買い、「漏れ鍋」に戻る。髪をなでつけようとすると、鏡が「勝ち目はないよ、坊や」と言う。鏡がしゃべることに、ハリーはいまさら驚かない。ホグワーツで絵がしゃべることに慣れているからだろう。