ハリー・ポッターとアズカバンの囚人(第13章前半)

「ロンはペットを失ったことで、心底うちのめされていた」
第13章の最初のページにそう書かれている。それまでロンがスキャバーズをかわいがっていたという描写は皆無に近い。ま、そうは言っても、自分が飼っていたネズミが猫に食べられたというのは、確かにショックだろう。
状況証拠ではそうなる、とハリーは思った。しかし読んでいたわたしは、違うという気がした。
児童書だから、猫がネズミを食べてしまうという残酷なストーリーにはしないだろうと思ったのだ。実はこれが買いかぶりで、この作者は蛇が人間を飲み込む描写すらやるのだと、「死の秘宝」でわかる。もっとも、死んだ人間だったけれど。
もう一つ、違うという気がした理由は、この作者はどんでん返しが巧みということだった。「賢者の石」では、敵と思ったスネイプが実は味方で、弱虫で無力と思われたクィレルがヴォルデモートの回し者だった。「秘密の部屋」では、味方に見えたトム・リドルが敵だった。こんな作者だから、スキャバーズも実は生きていたという結果になるのではないかと思った。それは当たっていた。でも、スキャバーズが実は人間だったとか、シリウスが無実だったとかは、やっぱり思いもよらなかった。これらの点では、作者にあっさりだまされてしまった。

ハリーはロンを誘い、ファイアボルトを持って、クィディッチの練習に行く。
ハリーの安全のために練習を見張りに来ていたフーチ先生は、ファイアボルトを見て感激し、ウンチクを長々と述べる。
わたしには、クィディッチがまともなスポーツとは思えない。「シーカーがスニッチを取ったら150点入って試合終了」というルールが、力や技術を競うスポーツらしくないのだ。それに、試合の結果がほうきの性能に大きく影響されるというのも変だ。もちろんほかのスポーツでも、たとえば野球ならバットの、水泳なら水着の性能が勝敗に影響する。でも、この作品中のクィディッチは、ほうきの性能の影響があまりに大きすぎる。F1の自動車の性能みたいだ。

試合に先立つウッドのせりふの中に、チョウ・チャンの名前が出てくる。本人の登場は翌日だが、チョウが一学年上でレイブンクローのシーカーだとここでわかる。
わたしは中国系の名前に詳しくないので、チョウが男か女かわからなかった。原文なら、sheという代名詞があるのだが、先に日本語訳を読んだので、チョウはここで性別不明だった。

翌朝の大広間で、ファイアボルトはみんなの注目の的になった。セドリックが祝福してくれたというくだりは、セドリックの公正さ、心の広さを表していて、わたしは好きだ。しかし、パーシーがペネロピーと賭けをしたというくだりは何となく違和感がある。後に両親と仲違いしてしまうパーシーだけれど、でもそれはパーシーが自分勝手なのじゃなくてまじめだからこそと思う。お金を持っていないくせに賭けをするなんてふるまいを、ここでパーシーにさせないでほしかった。

そして、レンブンクローとグリフィンドールの試合が始まる。