ハリー・ポッターと炎のゴブレット(第3章)

第1章はリトル・ハングルトン村、第2章はハリーの部屋。そして第3章は、ダーズリー家のダイニングルームから始まる。
小説の記述は前後しているが、一応できごと順にこの章に書かれていることをまとめてみよう。

夏休みに入ってすぐ、ダドリーのダイエットが始まった。学校からもらってきた通知簿に、養護教諭からの注意書きが書かれていたのだ。
そして何日かたった日、つまりハリーが前章の夢を見た朝に、モリー・ウィーズリーからダーズリー夫妻あてに手紙が届く。クィディッチ・ワールドカップの切符が手に入ったので、ハリーを連れて行きたいとの手紙だった。
ハリーが自分の部屋に戻ると、ピッグがロンからの手紙を運んできていた。モリーからの手紙と同じ内容だった。ただ、「日曜日の5時に迎えにいく」と具体的な日時が書かれていた。
「明日はプリベット通りを離れる」と書かれているので、二通の手紙が届いたのは土曜日ということになる。
ハリーはシリウスに、ワールドカップを見に行くことを知らせる手紙を書き、ヘドウィグに託す。
この章の記述では曜日だけで、何月何日かわからないが、第10章の最後に「(ヘドウィグが飛び立ってから)一週間以上たった」というせりふがあり、このせりふの翌日にこどもたちはホグワーツへ出発する。
どうやら、第3章から第10章までは、夏休みの最後の10日間ぐらいのできごとらしい。

話は戻って、ダドリーのダイエットについてけっこう詳しく書かれているのがおもしろい。養護教諭は献立表まで作ってくれたらしい。ダドリーは野菜や果物中心の食事をすることになった。ケーキやチョコレートは台所から消えた。
このダイエットの描写から、ダーズリー夫妻が相変わらずダドリーを甘やかしていること、それでもダイエットだけは実行させていること、ハリーが魔法界の友人に助けを求めてこっそり食べ物を手に入れていることなどが描写される。そして、第4章で双子のたくらみに空腹のダドリーがひっかかってしまう伏線になっている。

モリーの手紙は、封筒に切手がすきまなく貼ってあった。魔法使いはマグルの郵便を使い慣れていないという表現だが、これは余計なことじゃないかと思う。手紙を郵便で送ってきたからには、マグルの郵便局で切手を買ったのだろうし、その時にどれだけ貼ればいいか聞いたら済むことなのに。郵便配達員が怪しんだというエピソードも不要では? ふくろう便を「普通の方法」と言うあたりは賛成だけど。

「イギリスが開催地になるのは三十年ぶりのこと」とモリーの手紙に書かれている。
オリンピックと同じように、世界のあちこちで回り持ちになっているらしい。
モリーの手紙には、決勝戦だと書いてあった。ロンの手紙にはより詳しく「アイルランドブルガリア」と書かれている。これもオリンピックと同じように、国ごとの対抗試合らしい。

「アズカバンの囚人」の巻では、ホグズミード行きのサインをもらえなかったハリーだが、今回はワールドカップ観戦の許可を簡単にもらえた。逃亡中の殺人犯シリウスに手紙を書くと、ハリーがおどかしたからだ。わたしはこのおどかし方があまり好きではない。バーノンはますます魔法界への偏見を深めるだろうし、ハリーのやり方もフェアじゃないし。
物語全体がハリー視点で書かれているから、ダーズリー家のメンバーは全員、嫌な奴という描写になっている。しかし、何の心準備もないのにハリーを押し付けられた夫妻にわたしは「賢者の石」の時期から同情している。ま、息子のダドリーには同情できないけれど。

ロンの手紙には、パーシーが魔法省国際魔法協力部に就職したと書かれていた。
ハリーたちが入学したとき、パーシーは五年生だった。パーシーはこの年、卒業したのだ。
そう言えば、ホグワーツの入学式の描写は何度かあったが、卒業式の描写って一度もなかった。学年末パーティーで、卒業生を送る催しが行われた気配もない。

この章の最後、ハリーはクィディッチ・ワールドカップに行けることを単純に喜んでいる。
うれしいのは当然だけれど、しかし、シリウスにそのことを知らせる手紙を書きながら、チラとでも胸が痛まなかったのか? シリウスはイギリスを遠く離れて身を隠している。シリウスだってワールドカップを見たいだろうに、それはできない。自分が試合を見に行けることがうれしかったらうれしいだけ、それをできないシリウスの気持ちを思いやるべきじゃないのか? シリウスは今のハリーにとって、たったひとりの身内ともいうべき人間なのに。