ハリー・ポッターと炎のゴブレット(第30章前半)

校長室の扉の外にハリーがいることを、ムーディは魔法の目で見つけて、ダンブルドアに知らせた。
ハリーは中に入った。部屋の中には、ふたりのほかにファッジ大臣がいた。クラウチ氏がホグワーツ校内に現れたことについて、三人で話していたようだ。
ファッジは「今から校庭を見に行くので、授業に戻ってはどうかね」と言うが、ハリーは占い学の授業中に見た夢のことをダンブルドアに報告したくて来たのだから、「校長先生にお話したいのです」と急いで言った。このとき「ダンブルドアが素早く、探るようにハリーを見た」と書かれているのは、開心術を使ったという表現だろう。ただ、この巻ではまだ読者もハリーも、開心術という魔法の存在を知らない。
「ハリー、ここで待っているがよい」とダンブルドアが許可してくれたので、ハリーは部屋にとどまり、おとな三人は出ていった。部屋の中にいるのはフォークスだけだった。
フォークスは「秘密の部屋」ですでに大活躍をしているが、この鳥が雄だという記述は、ここが初めてだと思う。英語の原文ではすでに代名詞で判明しているかもしれないが。

ここでハリーは不思議な石の水盆を見る。このあとの各巻で大活躍をするペンシーブだ。
「不死鳥の騎士団」では不愉快な思い出につながるが、「謎のプリンス」と「死の秘宝」では、ハリーが真実を知るためになくてはならないアイテムになる。
このとき、戸棚の戸がきっちり閉まっていなくて、ペンシーブがハリーの注意をひいたのは、はたして偶然なのだろうか。それとも、要らんことしいのハリーが覗くのを予想していたダンブルドアが、わざと隙間をあけておいたのだろうか。
わたしは後者だと思う。ロンの脱落を予想して灯消しライターを遺贈したほどのダンブルドアだから、戸棚のすきまを開けておけばハリーがペンシーブに顔をつっこむことぐらい、簡単に予測できたはずだ。

ハリーはこのペンシーブの中で、三つの裁判を見る。この裁判がいつごろ行われたのかは、27章のシリウスのせりふを重ねると見当がつく。
一回目はカルカロフの裁判。おそらく、まだヴォルデモートが失踪してすぐの時期なのだろう。ムーディはまだ片目を失っていないし、カルカロフも、裁判長(?)のクラウチ氏も若々しい。ヴォルデモートの残党への追求が始まったばかりの頃と思われる。
このときのカルカロフの証言から、ヴォルデモート一味はお互いを完全には知らず、全体を把握していたのは親玉だけだとわかる。カルカロフは自分が知っている仲間として、ドロホフ、ロジエール、トラバース、ルックウッドの名を挙げる。この中で、ルックウッドの名だけが情報として価値のあるものだった。
カルカロフはスネイプの名も挙げるが、ダンブルドアが「スネイプは死喰い人だったが、ヴォルデモートの失脚より前に我らの側に戻った」と証言する。
この物語で、スネイプが元死喰い人だったとはじめてわかるのは、この場面だ。

二回目の裁判は、ルード・バグマンが被告だった。ルードはルックウッドに情報を渡していた容疑で捕まったが、それがヴォルデモートのためだとは知らなかったと主張する。陪審員たちは人気選手のルードを賞賛し、彼は無罪となったようだ。

三回目の裁判は、それからある程度経った時期らしい。
ロングボトム夫妻にはりつけの呪いをかけた罪の裁判だ。裁判長(?)はやはりクラウチ氏だが、前回とはうってかわって憔悴している。
被告は四人。「がっしりした体つきの男」「それより少し痩せて、より神経質そうな体つきの男」「黒髪の魔女」そして「薄茶色の髪の少年」。
少年がクラウチ氏の息子であることは、この場の描写でわかる。「お父さん、僕はやっていない」と何度も哀願する少年。クラウチ氏のかたわらで、妻が泣き続けている。
あとの3人の名前は、この段階ではわからない。33章でヴォルデモートが「レストレンジたちがここに立つはずだった。しかし、あのふたりはアズカバンに葬られている」と言っているのは、ロドルファス・レストレンジと、ラバスタン・レストレンジの兄弟のことだろう。そして「不死鳥の騎士団」25章に、死喰い人十人の脱獄の新聞記事が出てくるが、そこには「ベラトリックス・レストレンジ フランクならびにアリス・ロングボトムを拷問し、廃人にした罪」と書かれている。つまり黒髪の魔女はベラトリックス・レストレンジだった。彼女の名前が出てくるのは「不死鳥の騎士団」6章が最初かな?

この裁判でのベラトリックスのふるまいは小気味良い。堂々として、ゆるぎない信念をもっている。敵ながらあっぱれだ。
クラウチの息子の態度は対照的だ。このときのクラウチjr.は、どういう心境だったのだろう。ダンブルドアシリウスも、この少年がほんとうに死喰い人だったかどうかは知らないようだった。
あとあとの行動を考えれば、本心はヴォルデモートに心酔していて、裁判での哀願は演技だったとしかおもえないのだが。