ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(第10章後半)

ホームで「一年生はこっちに並んで!」と叫んでいたのはいつものハグリッドではなく、グラブリー・プランク先生だった。「炎のゴブレット」24章で、ハグリッドに代わって授業をした老魔女だ。
グラブリー・プランクは、この物語ではハグリッドの代理をつとめる時しか登場しない。しかし教師としては、確実にハグリッドより有能だ。ハリーたちの学年はハグリッドが受け持つとしても、他のいくつかの学年の授業は、プランク先生がやっているのかもしれない。
「ハグリッドはどこ?」と言うハリー、「知らないわ」「とにかく、ここから出た方がいいわよ。わたしたち、ドアをふさいじゃってる」というジニー。このやりとりはおもしろい。何か気になることがあるとほかのことを忘れてしまうハリーの欠点が、ここでもさりげなく描写されている。ハグリッドの不在が気になって、出口で立ち止まってしまい、他の生徒の迷惑になっているのがわからないのだ。ジニーが冷静にハリーをたしなめることができたのは、ハグリッドに関してハリーほどの思い入れがないからだろう。

そもそも、ホグワーツの教師はいったい何人いるのだろう。
9月1日のパーティの席には、ハリーと直接かかわる教師しか登場しない。いや、ハリーと直接かかわる教師でも、大広間に出てこない人もいる。たとえばトレローニーだ。ハグリッドの前任者だったケルトバーンも、毎年クィディッチの審判をしているフーチも、パーティの席にいない。
ハーマイオニーが受けている授業「数占い」の教師も登場しない。「マグル学」の教師は、「死の秘宝」で初登場して、いきなり殺される。
7学年分の授業数を考えれば、名前すら出てこない教師がほかに何人もいるのではないか。
リアリティをもたせるためには、一年生の最初の大広間の場面から、教師全員(引きこもりトレローニーは別として)を出しておくべきだろう。原作者は、読者のこどもたちが混乱しないように最低限の教師を大広間に登場させたのか。それとも単にめんどうだから他の教師を出さなかったのか。

ハリーたちは駅を出て、いつもの馬なし馬車に乗ろうとした。
いや、今年は馬なしではなかった。馬のようにも爬虫類のようにも見える有翼の生き物が、馬車につながれていた。
ところが、この馬がロンには見えていないことがわかる。逆にロンは「ハリー、気分悪くないか?」と心配してくれる。
ロンが先に馬車に乗り込んだとき、脇からルーナがささやいた。「あんたがおかしくなったわけでもなんでもないよ。わたしにも見えるから」「ここに来た最初の日から見えてたよ」

「変人オーラ」を漂わせているルーナの発言で、ハリーはかえって自信がなくなってしまった。
ルーナが正しいとわかるのは、この巻の22章になってからだ。