ハリー・ポッターと謎のプリンス(第24章後半)

「レイブンクロー戦の数日前、ハリーはひとりで談話室を出て、夕食に向かっていた。ロンは、またしてもゲーゲーやるのに、近くのトイレに駆け込み、ハーマイオニーは、前回の『数占い』のの授業で提出したレポートに間違いがあったかもしれないと、ベクトル先生に会いに飛んでいった」と書かれている。
ハーマイオニーについては、ありそうだと思う。レポートは完璧に仕上げなければ気が済まないし、ひとつでも間違いに気づいたら、すぐさまとんでいって訂正したいのがハーマイオニーだ。しかし、ロンについてはなぜ「またしても」なんだろう? 食事の前の時間だから、食べ過ぎて吐きそうということもないだろうし、ロンがいつもそんな理由でトイレに駆け込んでいるという描写も、これまでなかったと思う。原文は to throw up yet again だから、誤訳とも思えないのだが…
ともかく、ハリーがひとりで歩いているという設定がここでは必要だった。

ハリーが忍びの地図を見ると、ドラコ・マルフォイを示す点が下の階の男子トイレに表示されていた。嘆きのマートルがいっしょにいる。ハリーは階下へ走り、トイレのドアをそっと開けた。
マルフォイが鏡の前で涙を流していた。
「困っていることを話してよ……私が助けてあげる」とマートル。「誰にも助けられない」とドラコ。
「すぐにやらないと、あの人は僕を殺すって言うんだ……」
9月1日のホグワーツ列車の中で、ヴォルデモートから重要な任務を与えられたとはりきっていたドラコはもういない。その任務の難しさを思い知り、またアメとムチを巧みに使い分けるヴォルデモートの恐ろしさもわかってきたのだ。殺すぞとおどされたのは、クリスマス休暇でマルフォイ邸に戻っていたときのことなのだろうか。

鏡に映ったハリーに気づいたドラコは、杖を取り出した。ハリーも杖を手にした。
呪文の応酬。ドラコがかけた呪文はわからないが、ハリーのうしろのゴミ箱が爆発したから、エクスパルソかもしれない。ハリーは足縛りの呪いをかけたが、はずれて水槽タンクが破壊された。
次にドラコがかけようとしたのがクルーシオで、ハリーが同時に唱えたのがセクタムセンプラだった。プリンスの教科書に手書きでかかれ、「敵に対して」のコメントがあった呪文だ。
禁断の呪文と、正体はわからないが攻撃用とわかっている呪文。ここでのふたりは、どっちもどっちで共感できない。

セクタムセンプラの呪文が当たり、ドラコの顔や胸から、まるで見えない刃物で切られたように血が噴き出した。
もしハリーがラテン語を学んでいて、sectum が「切る」という意味だと知っていたなら、この呪文の効果をある程度予測できたかもしれない。

倒れたドラコを見てマートルが「人殺し!人殺し!」と大声で叫んだ。
スネイプが飛びこんで来た。おそらくスネイプは、ドラコを守るというナルシッサとの約束どおり、ドラコからつかず離れずの位置にいたのだろう。

スネイプは杖でドラコの傷をなぞりながら、歌うような呪文を唱えた。出血がゆるやかになった。もう一度同じことを繰り返すと、傷がふさがっていった。
三度目の呪文を唱え終わるとスネイプはドラコを抱えて立たせた。
「多少傷あとを残すこともあるが、すぐにハナハッカを飲めばそれも避けられるだろう」
このスネイプのせりふは、スネイプがこの呪文に精通していることを暗示している。反対呪文を知っていたことも含めて。

「ポッター、ここで我輩を待つのだ」と指示して、スネイプはドラコを連れて医務室へ行った。
十分後、スネイプは戻ってきた。
「そんなつもりはありませんでした」「あの呪文がどういうものか、知りませんでした」
このハリーの言い訳を読んで、アホか!と言いたくなった。呪文の効果も知らずに他の生徒に使うという無責任なことをしたと白状しているわけだから。
「今すぐ教科書を全部持ってこい」とスネイプは命令した。
この時点で、スネイプはどこまで知っていたのだろう。このときハリーはプリンスの教科書を思い浮かべていたのだから、スネイプが開心術を使っていれば、すぐ真相がわかったはずだ。

ぐしょぬれのまま寮に戻ると、ハリーはロンの教科書を借りた。そして八階の廊下を走り、必要の部屋の前で「僕の本を隠す場所が必要だ」と心の中で唱えながら部屋の前を三回往復した。
必要の部屋はとても広くなっていて、歴代のいろいろな人間が隠したものが積み上がっていた。
そこには「姿をくらますキャビネット」も置いてあった。そこを通り過ぎて、大きな戸棚の前で立ち止まり、プリンスの教科書を隠して戸棚を閉めた。再びこの戸棚を見つけられるかどうか心配だったので、近くにあった魔法戦士の像を戸棚の上に置き、その頭に黒ずんだティアラを載せた。
このティアラが、分霊箱のひとつだということが「死の秘宝」でわかる。

ハリーは誰にもわからない場所へプリンスの教科書を隠し、ロンの教科書を自分のものだといってスネイプに見せたのだ。
ハリーの行動の中で、最も狡猾なもののひとつだろう。この狡猾さを見れば、組み分け帽子がハリーをスリザリンに入れようとしたのもうなずける。

ハリーは大急ぎでスネイプの待つトイレに戻った。
スネイプは1冊ずつ教科書をていねいに調べ、魔法薬学の教科書はとくにていねいに見た。
教科書に「ローニル・ワズリブ」と書いてあるのを、ハリーは「僕のあだ名です」と下手なウソをついた。しかし、よくもまあとっさにこんなウソがつけるものだ。
スネイプはおそらく、ハリーの心の中を全部読み取っただろう。必要の部屋に隠されたものも含めて。しかし、スネイプはそれを追求はしなかった。ダンブルドアに指示されていたのだろうか。
スネイプは土曜日の罰則を言い渡した。それはクィディッチの最後の試合のある日だった。

嘆きのマートルは、城中のトイレに現れて事件をしゃべってまわったらしく、トイレでのドラコとハリーの事件は学校中にすぐに広まった。
グリフィンドール寮では、この期に及んでもプリンスの教科書をかばおうとするハリーと、つねづねプリンスの教科書を批判していたハーマイオニーとの言い争いが始まった。
それを聞いていたジニーがハーマイオニーに「あら、今さらクィディッチのことがわかるみたいな言い方をしないで」と言ったせりふには驚いた。たしかにハーマイオニーはクィディッチをやらないが、これまでもハリーのクィディッチ好きを応援して、「クィディッチ今昔」という本を貸してくれたり、クィディッチに関係するグッズをプレゼントしてくれたりしたじゃないか。
ジニーの性格が悪いことは数カ所で描写されているが、ここもそのひとつだろう。
だがハリーにとってはありがたいものだったようで、ジニーのせりふのあと「ハリーは、そんな気分になる資格はないと思いながらも、急に信じられないほど陽気になっていた」と書かれている。

土曜日、みんながクィディッチの試合に行くのに背を向けて、ハリーはスネイプの罰則を受けに行った。内容は、フィルチの事務所に保管されていた書類の整理だった。
10時から始まった罰則だが、1時10分すぎになってやっと、スネイプが「もうよかろう」と終了を宣言した。
談話室に戻ると、試合に勝ったお祝いの最中だった。
ジニーがハリーに駆け寄った。ハリーはみんなが見ている前で、ジニーにキスをした。ロンはそれを許すという表情をしていた。ハリーの恋が実った瞬間だった。
ハリーは、いっしょに寮の外へ出ようとジニーに目配せした。

「ディーン・トーマスが手にしたグラスを握りつぶし、ロミルダ・ベインは何かを投げつけたそうな顔をしているのが見えた」と書かれている。
わたしは、このふたりが気の毒でならない。ロンもジニーも最初から本命がいたのに、ふたりは当て馬にされてしまったのだから。